元禄7年10月12日 享年51歳(西暦では1694年11月28日)
有名なすみれの句があります。
山路来て何やらゆかしすみれ草
貞享2(1685)年春、芭蕉が『野 ざらし紀行』の旅の途中、京都から大津に越える坂山あ たりで吟じたものです。
その句を刻んだ句碑は すみれ塚と呼ばれ 各地に建立されています。
検索してみました。
すみれ塚と呼ばれている以外にも 「山路来て何やらゆかしすみれ草」の句碑のあるといわれる所を検索・列挙してみました。
本当にあるかどうかは未確認ですm(__)m
☆宮城県仙台市青葉区 大梅寺
☆埼玉県本庄市 東石清水八幡神社
天保2年(1831年)鋳造句碑を建立したが戦争で供出され石で再建。
☆千葉県香取郡多古町 東禅寺
後に東禅寺は廃寺となり、芭蕉の句碑は大師堂に移された。
☆東京都港区北青山 信州善光寺別院
☆東京都 青山・善光寺
☆神奈川県足柄下郡箱根町湯本 正眼寺
土地の俳人が建立
☆長野県上高井郡高山村 「一茶ゆかりの里一茶館」
南に久保田家墓地があり そこに芭蕉の句碑。
一茶門人、久保田春耕が屋敷内に建立
「耶魔道來而難仁也良喩可斯壽美例倶散」(山路来てなにやらゆかしすみれ草)
句碑の裏には「山路來而所何幽玄菫」(菫は草冠に肆という字)と書いてあるそうです。
☆新潟県糸魚川市 西海地区
(場所が確定できませんでした)
☆長野県上高井郡高山村
「しだれ桜の里」として最近脚光を浴びているがその中に「菫塚のしだれ桜」と呼ばれる桜がある。
☆愛知県春日井市 内々神社(うつつじんじゃ)庭園の中 (内津神社?)
尾張から美濃へ越える内津山が、芭蕉がこの歌を詠んだとされる山城から近江にかけての国境によく似ていることから、明和6年(1769)に建てられた。
☆愛知県名古屋市熱田区白鳥町 宮中学校
ここの句碑には「何とはなしに 何やら床し菫草」とかかれてある。
芭蕉は貞享元年(1684)に熱田の地を訪れ、弟子桐葉の宅に泊まり、翌年3月、弟子桐葉の娘さよの四九日で、現在の宮中学校の運動場付近にあった白鳥山法持寺に詣でこの句を作ったことから。
後に「野ざらし紀行」で、「山路来て何やらゆかしすみれ草」と改作したらしい。
☆福井県あわら市 舟津公園 内
明治に芦原温泉 開湯10周年に芭蕉200回忌の明治26年、地元の芭蕉を慕う俳諧グループが建立。
☆岐阜県中津川市 旭ヶ丘公園
「山路来て 何や羅遊(らゆ)かし 寿み連草(すみれそう)」の石碑がある。
1772年芭蕉の80回忌に中山道に面して建てられたが、1978年に移す。
☆滋賀県大津市 幻住庵
遊歩道の10基の句灯柱の中の一句に
「山路来てやにやらゆかし菫草」がある。
☆滋賀県大津市 小関天満宮
☆京都府伏見 西岸寺
☆大分県大分市 長興寺
☆長崎県佐世保市 宇久島神社
明治元年頃建立
全国にもっとあると思われますが まだ一つも見たことがないかも。
本当にあるのかを確かめてはいませんので 間違えていましたらすみません。ご存知の方は教えてください。
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ご訪問&コメント ありがとうございます。
写真はfacebookの方で受け取りました。句碑の写真と情報ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。